三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で自分の読書スタイルを見つめなおす

自己啓発本を読むダサさを描いた夏目漱石

自己啓発本を読むのがダサいという価値観が夏目漱石の時代からあったんです。 三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)を読んで知りました。夏目漱石の『門』という作品で、大学を中退して公務員として働く主人公が、歯医者の待合室で『成功』という自己啓発雑誌をめくり、「何でも猛進しなくてはいけない。ただし、立派な根底の上に立って猛進しなくてはいけない。」みたいなことが書いてあるのを、ひややかな目で見るという描写があるのです。

日本人の読書と労働の歴史をふりかえる

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

三宅香帆 著

集英社

【出版】2024.4

【頁数】285p

書籍情報は、国立国会図書館サーチのAPI(書影データ提供機関:出版情報登録センター)に由来します。

ベストセラーとなっているこの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、かなりの部分が、日本人の読書と労働の歴史をふりかえる内容に割かれています。最初は、なぜそんなものを振り返るのだろうと脱線に感じながら読むのですが、これがなかなかおもしろいのです。例えば、谷崎潤一郎『痴人の愛』は、大正末期の社会不安にもがくサラリーマン向けの、まだ好景気だったころのサラリーマンを主人公とした妄想小説だったとか。60年代高度経済成長期の坂を登っていく空気を詰め込んだ司馬遼太郎『坂の上の雲』が、70年代の閉塞感の中で文庫化されて、通勤電車の中でノスタルジーに浸れる癒やしとしてサラリーマンに売れまくったとか。70年代までは大学進学率がまだまだ低かったこともあって学歴コンプレックスを抱えている層が教養を求めてそういう読書をするのが流行りだったけど、80年代に入って大卒だらけになると、むしろコミュ力が出世の鍵だという話になって、処世術やモテテクニック特集がメインの雑誌『BIG tomorrow』が人気になったとか。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

そして、本の終盤では、ちゃんと看板に掲げた通り「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」が解き明かされていきます。

キーワードは“ノイズ”です。新自由主義の台頭によって、結果にコミットするため、ひたすら具体的な行動を尊ぶ価値観、“ノイズ”をできるだけ減らす効率化こそ正義という価値観が、労働者に押し付けられるようになっていきます。そして、知りたいことズバリそのものである“情報”までインターネットという近道を突っ切ってアクセスできる一発逆転感に熱中し、現代人は“ノイズ”から“ノイズ”へのぐるぐる回り道に耐えられなくなってしまったのです。しかし、“読書”とは、むしろその“ノイズ”を楽しむことこそがだいご味です。“ノイズ”を楽しむモチベーションと余裕が、現代の労働者から失われてしまっているから、働いていると本が読めなくなるのです。

私自身の読書方針が、まさに「いかに“ノイズ”まみれで本を読むか」だったので、なんとなく実践してきたことを言語化してもらえた感じでした。できるだけ仕事と直接関係ない本を、できるだけ統一感なく読むことを心掛けてきました。それがイケてると思ってきました。逆に言えば、すぐに役立ちそうな本ほど、あっという間に陳腐化するし、ダサいと思って生きてきたのです。この価値観は、夏目漱石の時代からあった、高等遊民的な価値観と言うか、真のエリートはすぐには役立ちそうもないことを学んでこそという、ある種の知的な余裕を気取って見せる態度なのだと、自分の中ですっきり整理できました。

“社会”は変えられる?変えられない?

“ノイズ”まで含めて広く意識を配ろうとする態度は、そうやって広く“社会”を見渡すことで、“社会”を良い方に変えていけるはずという意識が背景にあればこそです。しかし、そもそも“社会”なんて変えられるわけないのだから、そんなアンコントローラブルなものは全部ノイズと見なして、ひたすら“自己”変革にまい進すべしというのが、90年代後半以降の自己啓発書の世界観だと筆者は整理しています。そして、そんな態度を筆者が痛烈に批判する筆致が極まるのが215頁の一節で、私は、よくぞ言ってくれたという気持ちになりました。引用します。

市場という波にうまく乗ることだけを考え、市場という波のルールを正そうという発想はない人々。それが新自由主義的社会が生み出した赤ん坊

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社新書 215頁

いやはや、“赤ん坊”ときました。本人たちは、むしろそんな態度こそが“大人”だと肩をすくめてポーズを決めていそうなので、なかなか刺さりそうなあおり文句です。ただし、このあたりの価値観の対立は、最近よく言われるリベラル的態度への嫌悪感にもつながっているように感じていて、どっちもどっちというのが私の感覚です。というのも、私からすると親の世代であるザ・リベラルな団塊の世代は、「“社会”と切り結んできた俺たち世代かっこいい」的な態度で、でも結局めちゃくちゃ大量の宿題を先送りしただけに思えて、そんな親父たちのリベラル的態度の無邪気な感じもまた、でっかい“赤ん坊”に見えて、それを冷笑して“社会”なんて変えられるわけないさと最初から諦める態度こそ“大人”だと言いたくなる気持ちも、分からないではないのです。

読書のだいご味はぐるぐる回り道

そんなこんなで、今日も今日とて、参考文献にあげられていた前田愛『近代読者の成立』を拾い読みしてみるなど、“ノイズ”まみれの読書生活です。明治初期の読書における『八犬伝』のメジャーな感じとか、朝ドラ『らんまん』ヒロインの設定はリアルだったんだなと思ってみたり。

そんな“教養”を身に着けたところで、今の時代の立身出世には何の役にも立たないから、みんな“読書”しなくなっているわけですが…。この“立身出世”も前半のキーワードとして分析されていて目からウロコなので、ぜひ手にとって読んで、ぐるぐる回り道のだいご味を味わうことをオススメします。

この記事書影は、国立国会図書館サーチの書影APIデータ(データ提供機関: 出版情報登録センター)に由来します。

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