(この記事は、『TIGER&BUNNY2』がNetflixで配信された直後の2022年4月9日に、別の場所で書いたものを、こちらのサイトに再投稿したものです。)
つまらなかったら地獄だなと思っていました。そして、正直、その危険性も決して小さくはないと思っていました。本当に怖かった。
でもね、おもしろかった!心からおもしろかったし、いろんなことを考えさせてくれるすばらしいアニメに仕上がっていました。11年待ってハードルが上がりきっていたのに、しっかりと正面から超えてくれました。ありがとう!そして、ありがとう!
11年間、きっといろんな試行錯誤を重ねたであろうことが伝わってくる見事な構成でした。その手があったか、いや、それしかなかったと感服するしかありませんでした。勝因は、“原点に立ち返ったこと”だったと思います。
『TIGER&BUNNY』の原点って、“バディーヒーローの絆を描くアニメ”だったと理解しています。ただ、たくさんの話数を重ねてひたすら“TIGER&BUNNYの絆”を描こうとすると、ともするとウエットな方向に、関係性を過剰に深めていくことになってしまいます。何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。正直、1期の終盤で既に過剰さが見え隠れしていた部分もあったので、この方向性で2期となると、コレジャナイ感が漂うパターンを覚悟していました。
ところが、大きく方向転換しつつ原点に立ち返るという離れ技を見せてくれました。“TIGER&BUNNYの絆”だけではなくて、“いろんなバディーの絆”を描くことで、一つ一つのバディーの関係性の描写を過剰にウエットにすることなく、だけど、いろんなバディーの関係性が描写されることで、それぞれのバディーの関係性の違いが際立ち、そこに深みが生まれる。つくづくコロンブスの卵です。こうしてみるとシンプルな解決法ですが、1周回らないとたどりつけないどころか、それこそ11周回らないとたどりつけない着地点だったと思うのです。これぞ、“バディーヒーローの絆を描くアニメ”です。そして、1期&劇場版でそれぞれのキャラクターの造形と世界観の構築が完了している2期だからこそできたことです。
また、いろんなバディーの絆を描くことで浮かび上がってくるメッセージが、私の個人的な人生のテーマそのまんまなように感じられて、改めて運命を感じてしまいました。私の個人的な人生のテーマを、大昔、別の場所で次のように書いたのです。
人間が探し求めている“自分”というのは、結局のところ“存在意義のある自分”だ。
そして、それは「自分の適性を最大に生かして仕事をすること」とか、「誰にも負けない何かを身に付けること」とか、「自分のすべてをありのままに受け入れてくれる恋人と出会うこと」とかではなくて、「大切にしようと決めた誰かと、お互いがお互いにとって大切であり続けるためにもがき続けること」でしか手に入らないものなんだ。
タイバニ2を見た今、改めて考えてみて、もし世界に2人だけだったら、もがき続けるのは、実はとっても難しいことなのかもしれないと気付かされました。子どもがいて、親がいて、友人がいて、隣人がいて、同僚がいて、そうしたたくさんの関係性の中にいるからこそ、2人の関係性は変わらざるをえなくなって、もがかなければいられなくなる。だから、“終わり”をむかえないでいられるのかもしれないなと。
考えてみると、“ある2人”の関係性だけに注目した物語は、一つの定まったゴールに収束するしかなくなります。それはそれで達成感のある美しい物語です。でも、「ココデオワルハズガナイノニ」と宣言したタイバニです。そこに“いろんな2人”が並び立つことで、それぞれの2人が他の2人の関係性に影響を与えたりしながら、いつまでも変化し続けていく世界を生み出したのです。いろんなものがまぶしく輝いたり、不意に暗くなったりして、いつまでも続く物語になったのです。万華鏡(kaleidoscope)のように。
それでは聴いて下さい。UNISON SQUARE GARDENで、『kaleido proud fiesta』。
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