平井美穂『ソ連兵へ差し出された娘たち』集英社を読みました。満州で起きた悲劇のあらましは、タイトルを一読してすぐ想像できてしまう人が多い気がします。戦争ってそういうものだよねと訳知り顔をしていた自分がいた気もします。ただ、筆者が丹念に取材して浮かび上がらせたディティールを読んで初めて、自分とすぐ地続きの現実で起きたことだと実感できた気がします。
『 ソ連兵へ差し出された娘たち』 平井美帆 【出版】 2022-01-26【頁数】 340 敗戦直後の満洲でソ連兵から皆を守るためにひとつの開拓団が下した「究極の決断」とは? 第19回開高健ノンフィクション賞受賞作。 |
特に印象的だったのが、開拓団で決めた基準の年齢をギリギリ下回っていたことで差し出されることを逃れた女性が日本に帰りついてから、
「無傷なんは私ひとりよ」と吹聴していたというエピソード。ある被害女性は、それがどうしても許せなくて、仲良しだったその女性に年賀状を出さなくなったのだそうです。吹聴してしまう女性の気持ちも分からないではないのが切ないです。満州から命からがら引き揚げてきたみんなは、多かれ少なかれ一緒に辛い目にあってきた仲間です。その中でもいろんな分断が生まれてしまう人間模様が生々しく伝わってきました。
少女たちが肉体を差し出すしかなかった相手は、ソ連兵だけではありません。親が死んでしまい、弟を連れて日本に引き上げようとする少女は、その道のりで出会った日本人男性と、日本に帰りつくまでの間だけ疑似的な夫婦関係となり、帰りつくまで庇護してもらうということもあったそうです。
そんな苦労を重ねて一緒に帰ってきた弟が、姉にひどいことを言ってしまうエピソードも生々しかったです。
心から尊敬している姉に対して弟は、
「同じように満州から引き揚げてきた女の子の一人と最近いい感じになっていたけれど、その子には差し出された過去があったことを知って、本当にショックで。だから、結婚相手として考えられなくなった。」と報告してしまうのです。それを聞かされている姉にも同じ過去があると想像できないはずがないのに。
筆者が取材の中で、その弟に、姉が傷つくことに思いが至らなかったかと問うと、
「とにかくショックで…。ショックだったのは本当だったから…。」
姉の慈愛に甘えるにも程があると思う一方で、自分の純情が傷付いたと大騒ぎする青年期の無邪気さと残酷さも分からないではなくて。
開拓団の責任者だった男性たちにとっても、集団が生き延びる可能性を上げるために少女たちを差し出すことは苦渋の決断だったと思います。ただ、そうした記憶を、自分が苦しさから逃れるためか、都合よく書き換えてしまうこともあるようです。何十年も経ったのちの開拓団の集まりで、開拓団を取り仕切るような立場だった男性が、女性のひとりに、
「お前はソ連の男たちが好きだったからな。」というような言葉を浴びせてしまったのだそうです。時が経つにつれて、男性の中で認識がじわじわと書き換えられていったんだろうなと想像しました。
この本は、筆者が女性誌に連載したルポをベースに、ルポが出るまでの大変さや出た後の社会の反応なども含めてまとめたものです。こうした事実は、どうしても隠す方へと力学が働いてしまうことも描かれていました。戦時下の性についての記録は、様々な作用でゆがめられている可能性が高いことは肝に銘じておこうと思います。
そこそこ分厚いのに、するすると一気に読めてしまったことに驚いた本でした。自分なりに分析すると、描かれている事象が、想像したまんまだったからだと思います。戦時下に、こういう悲劇が起きてしまうことは、おそらくみんなうっすら想像している気がします。だいたい、想像していた通りでした。分からないのは、その時に、どんな感情になるのかです。差し出された少女、差し出すことを決めた責任者は、何を思い、その記憶や感情はどうなっていくのか?当事者への取材を誠実に重ねて描き出した筆者に心からの敬意を表します。とにかく一気に読めるので、未読の方はぜひ。
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