J.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー』でトランプ2期目に備える

ドナルド・トランプのアメリカ大統領復帰という可能性に向けて読んでおくべき本が、J.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー アメリカの反映から取り残された白人たち』です。

『 ヒルビリー・エレジー』
J.D. ヴァンス

【出版】 2017-03【頁数】 424
ニューヨーク生まれの富豪で、貧困や労働者階級と接点がないトランプが、大統領選で庶民の心を掴んだのを不思議に思う人もいる。だが、彼は、プロの市場調査より、自分の直感を信じるマーケティングの天才だ。長年にわたるテレビ出演や美人コンテスト運営で、大衆心理のデータを蓄積し、選挙前から活発にやってきたツイッターや予備選のラリーの反応から、「繁栄に取り残された白人労働者の不満と怒り」、そして「政治家への不信感」の大きさを嗅ぎつけたのだ。トランプ支持者の実態、アメリカ分断の深層。
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トランプ大統領が誕生した2016年にアメリカで出版され、トランプ大統領誕生の背景にあるアメリカ社会の歪みがよく分かる本だということで、ベストセラーとなりました。1984年生まれの無名弁護士の回顧録で、2020年にNetflixによって映画化もされました。映画の評判はあまり良くないので未見。

ヒルビリーは田舎者のこと。

筆者の祖父母世代は、ぐちぐち話し合うくらいなら銃をぶっぱなした方が早いという価値観が一般的なケンタッキー州の田舎町で育ちます。祖父は祖母を10代で妊娠させ、隣のオハイオ州にある鉄鋼会社の企業城下町に駆け落ちで流れ着き、都市生活になんとかなじんでささやかなアメリカンドリームをつかみます。だからこそ、コツコツ働くことの大切さを信じているのですが、もともとの荒くれ者気質もあって、夫婦や親子の関係に暴力がつきまといます。

その影は、次の世代である筆者の親世代の心を蝕み、彼らが築いた家庭の不和という形で現れてしまいます。そして、産業の衰退が町の活気を奪ってしまうと、孫世代、つまり筆者は、離婚、失業、貧困、家庭内暴力、ドラッグが蔓延する中で育つことになるのです。

筆者はアイルランド系の白人。離婚と再婚を繰り返す母親は看護師として働いていたものの、職場の尿検査に出すため息子に尿を出せと迫る有様。筆者がレジ打ちのバイトをすれば、有色人種がパワフルに貧困と立ち向かう一方で、白人の隣人たちが、すべてを他人のせいにして生活保護を受けながらドラッグに溺れていく様子を見せつけられます。

そんな白人低収入労働者階層はwhite trash=白いゴミと呼ばれ、彼らが住む斜陽産業の町はrust belt=さび付いた工業地帯と呼ばれます。それはトランプ大統領の支持層そのものでした。大統領選挙でアメリカのマスコミが完全に見落としていた、静かで巨大な怒りの実態を鮮やかに描き出しているということで、注目を集めた本なのです。ビル・ゲイツも、この本で考えを改めさせられたと当時語っていたように、アメリカで階層と階層の間に出来てしまった高い壁の問題は非常に深刻で、お互いの姿が本当にまったく見えなくなっていたことがよく分かります。

そんな筆者を救ってくれたのは、祖母が勤勉さの重要性を愚直に説き続けたこと。学校の成績が上向いたことをきっかけに自分の可能性に気付き始めるも、一族見渡して一人も大卒がいない中で進学に踏み切る自信は持てず、海兵隊へ。ブートキャンプでやっと自己効力感を手にした筆者は、奨学金を得てオハイオ州立大学、さらにはイェール大学のロースクールへ。筆者は、そのステップアップの課程で、自分たちには上の階層のすべてが何も見えてなかったことを思い知らされます。奨学金の手続きの仕方、というよりも奨学金の存在そのもの、大企業に就職するにあたっての人脈の作り方、就職活動にはスーツを着て出かけなければいけないこと。

ごくごく個人的な回顧録だからこそ、彼らの感覚の微妙なところが分かって、大きな収穫でした。例えば、キリスト教福音派の感覚。筆者は、離れて暮らす実の父親が福音派のおかげで立ち直ったことをきっかけに、10歳くらいの頃に福音派に傾倒します。進化論を説くサイトに対して、進化論を否定するメールをせっせと送ってみたり。そんな中、福音派が同性愛を否定していることを知った筆者は、同級生の女の子よりも男の子と仲良いことを思い悩み、祖母に相談します。福音派ではない祖母は、彼女らしい、下品だけどすばらしい回答をするのです。

「あんたは、その友達のおちんちんをしゃぶりたいと思うのかい?そうじゃないなら、あんたは同性愛者じゃないし、そうだとしても、神様はそれくらいのこと許して下さるよ。」

おばあちゃんのしなやかな考え方と、熱烈な福音派、アメリカではどちらも正しさの尺度として広く機能していることがよく分かります。そして、それぞれに自分の掲げる正しさを信じる理由、すがる理由があって、なかなか分かり合えないんでしょうね。

ドナルド・トランプが支持される背景を理解するために、8年を経た今なお重要な本だと思います。

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