九段理江『Schoolgirl』と朝ドラ『虎に翼』で“支配”について考える

↓こちらの記事からの続きです。

“身体”を鍛えている九段理江さん

石川県立図書館で開催されたトークイベントに九段理江さんが現れた時、多くの観客がスタイルの良さに驚いたことと思います。

トークの中で三島由紀夫への強い憧れを語ったことから、三島由紀夫と同じように体を鍛えているのかもしれないと調べてみたら、文學界新人賞の賞金はジムの会費に注ぎ込んだという話が出てきました。

身体=本能が拒絶している?人に誘われて石川県に移住

トークイベントの観客が強烈に覚えているであろうもう一つが、石川県に住んだきっかけとなった人物のエピソード。一緒にいるとじんましんが出ることもあるくらい本能的には拒絶している人物だったけれど、無名だった九段さんの才能を高く評価してくれる人物だったし、言葉の力で分かりあうことを諦めたくなかったから、その人物の誘いにのって石川県に移住したというのです。

自分の身体の支配権を巡る闘争を描く『Schoolgirl』と朝ドラ『虎に翼』

トークイベントでこうしたことを見聞きした結果、九段さんにとって極めて重要なテーマは、いかにして身体(本能)言葉(理性)の支配下におくか?なのだろうなと感じました。

なんてことを考えながら、九段理江さんとしては初めて芥川賞候補作となった『Schoolgirl』を読み、下敷きになっているという太宰治『女生徒』も読んでみました。

『 Schoolgirl』
九段理江

【出版】 2022-01-17【頁数】 176
「小説なんて現実世界の敵」と断じる社会派YouTuberの14歳の娘。しかし彼女の最新投稿は太宰治の「女生徒」について――?
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いろんな読み方があると思いますが、九段理江『Schoolgirl』も太宰治『女生徒』も、女性が自分の身体の支配権を掌握することの難しさを描いた作品として私は読みました。ちょうど朝ドラ『虎に翼』にハマっている影響もあるかもしれません。

太宰治『女生徒』も、朝ドラ『虎に翼』も描いているように、大日本帝国憲法の下では、“女の子”が成長して“女”になってしまうと、嫁入りして自分自身の支配権を夫に渡すことを迫られます。

また、『虎に翼』でヒロインの生理痛の重さが描写されて話題になりましたが、『Schoolgirl』の主人公やその娘の体調が何かと変化する描写にも、生理周期の影響を感じます。男女平等の世になったとしても、自分自身の肉体の支配権を、脳ではなく子宮に奪われてしまいかねないわけです。『Schoolgirl』の主人公が不倫の快楽をむさぼってみせている描写は、子宮に振り回される理不尽さへの仕返しのように見えました。

コンプレックスに駆り立てられた子育てが生む“過剰”の連鎖

そして、『Schoolgirl』の主人公は、いわゆる“毒親”である母親に自分が支配されて育ったからこそ、何があっても娘を支配しないことを大切に子育てしてきました。ただ、こうしたコンプレックスに駆り立てられた子育ては、別の過剰さを次の世代に植え付けてしまいがちです。娘は、支配への過剰な反発を示す中学生に育ちます。そもそも、思春期というのは、「支配からの卒業」に目覚めるお年頃。それが過剰になって、“Woke”系YouTuberとして、資本主義社会等々からの卒業を声高に叫ぶようになるわけです。

無邪気さ、時に罪になる

『Schoolgirl』で一番ドキッとさせられたのは、主人公が夫について語る部分です。

彼はとても良い人だ。みんながそう言う。でも彼を良い人たらしめているのは、彼自身の良さによるものじゃない。ただ当然の結果として良い人になっただけだ。精神的、経済的に安定した親が二人も揃っていれば、そんなの普通に生きているだけでもう、悪い人になりようがないじゃないかと、ことあるごとに思ってしまう。生まれたときから良い人になることが約束された人が振りまく、邪気のない愛情がかんに障ってしかたない。

九段理江『Schoolgirl』文藝春秋社 68頁~69頁

おこがましいことを承知で言いますが、私自身も“生まれたときから良い人になることが約束された人”だと自負していて、自分の無邪気さがある種の暴力性をはらんでいることは自覚しています。朝ドラ『虎に翼』のヒロイン寅子も同じタイプだと感じていて、だからハマっているのかもしれません。「無邪気さ、時に罪になる」問題は、『虎に翼』でもそのうち描かれる気がしています。

なんてことを考えていると、トークイベント時はイメージが膨らまなかった「一緒にいるとじんましんが出ることもあるくらい本能的には拒絶しているけど、その誘いに乗って移住してしまうくらいには信用できそうな人物」について、「無邪気さ、時に罪になる」系の人物だったのかもしれない、それなら本能を押さえつけて石川県に移住するのも理解できると、勝手に納得したのでした。

また、九段理江さんや三島由紀夫のように、言葉をきちんと操るために身体を鍛えるのは、とても重要だと思います。三島由紀夫の享年が45。三島由紀夫が割腹自殺した時よりも自分は年上になったのだと気付いて、いろいろ考えさせられています。三島由紀夫も四十肩に悩んだりしたのかな…。

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