小野寺拓也 田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んで娘と語り合う

歴史修正主義に対するワクチンとして子どもたちに読ませる

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読みました。
「ナチスは良いこともしたから、それはそれで評価すべき!」という、特にネット上で定期的に飛び交いがちな言説に、歴史学者の小野寺拓也さんと田野大輔さんが真正面から向き合う本です。

『 検証ナチスは「良いこと」もしたのか?』
小野寺拓也 田野大輔

【出版】 2023-07-07
失業率を低下させ、福祉政策を行った…ナチスの功績とされがちな事象をとりあげ、事実性や文脈を検証。
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比較的読みやすそうな岩波ブックレットなので、歴史修正主義に対するワクチンとして子どもたちに読ませると良さそうだと、まずは自分で読んだ次第。中高生が背伸びして読むのにちょうど良い感じです。特に「はじめに」の数ページにエッセンスが詰まっているので、とりあえずそこだけ高校生の娘に読ませて、何を読み取り、どのように考えたのかを、うざがられながらも10分ほど語り合いました。

歴史について語る際に重要な“解釈”という層

本の論旨は極めてシンプルで、歴史について語る際には【事実】【解釈】【意見】という3つの層を経ることが必須で、先行研究の蓄積であるところの【解釈】の層をすっ飛ばして、【事実】から即【意見】を述べようとすることは、大変危険であるという主張です。

と言われると、先行研究の蓄積であるところの【解釈】とは何ぞや?という部分の説明が重要になるわけで、そこに紙幅のほとんどが割かれています。

ナチスは良いこともした論は、様々な【事実】を根拠として、「経済回復はナチスのおかげ」「ナチスは労働者の味方だった」「先進的な環境保護政策を推進していた」などの【意見】を主張するわけです。【解釈】をすっ飛ばしてしまっているわけです。だから、その根拠とされる【事実】について確認し、その【事実】の背景などを検証した先行研究、すなわち【解釈】を分かりやすく紹介して、ナチスは良いこともした論の誤りをていねいに示していくスタイル。

ナチスの環境保護政策は先進的だった?

個人的に興味深かったのは、環境保護政策といえば今は先進的なイメージだけれども、当時はむしろ「古き良きドイツの森を取り戻せ!」的な国粋主義としての主張だったという話でした。なので、「自然景観の加工・破壊」がけしからんと訴えていたのは【事実】だけれど、同じように「住民の服装の変化」や、「オペレッタの流行と民謡の衰退」をけしからんと訴える主張が並んでいたのだそうです。
といった【解釈】が加わると、「自然景観の加工・破壊」がけしからんと主張していた【事実】の見え方も変わってくるわけです。

「私、気付いちゃったんです!」ってみんな言いたい問題

ということで、充分に読みやすくて良い本だなと思うのですが、歴史修正主義に染まりやすい傾向の方には、なかなか届かないだろうなという正直な感想も。先行研究の蓄積をいくら分かりやすく説明してみせたところで、【事実】から【意見】に直結させる手っ取り早さには、「分かりやすさ」でかなうわけがありません。

また、「自分の頭で考えた気がする手応え」は甘〜い蜜の味です。「私、気付いちゃったんです!」ってみんな言いたいのです。先行研究の地道な読み解きよりも、お手軽にひらめく謎解きの方が、ずっと気持ち良いのです。

中高生の歴史の授業やテストで意見を求めることの危うさ

そんな中、娘にハッとさせられたのが、
「別に歴史の授業で【意見】とか求められないから大丈夫だよ。」という言葉でした。てっきり歴史の授業でも【意見】を求められていると思い込んでいた自分がいたので、虚を突かれた思いでした。

今の学校教育全般のトレンドって、「自分の【意見】をきちんと言える人間に育てる」ことだと私は認識しています。「そういう風に日本人もならなきゃダメ」みたいな空気ってありますよね?

でも、よく考えてみると、高校生くらいまでの歴史の授業は、【解釈】を地道に学ぶステージであって、安易に【意見】とか求め始めると、生徒たちが「私、気付いちゃったんです!」になりかねません。

娘の学校はそのあたりをわきまえているようですが、そもそもこの本が書かれたきっかけのひとつが、「ヒトラーを礼賛する女子高生の小論文の文体が完璧で添削に困った予備校教師のつぶやき」だったと書かれています。歴史について【意見】を言わせる出題の危うさって、採点基準の難しさくらいしか考えていなかったけれど、もっと大きな意味で危なっかしいということに気付かされました。

「効率的に自分の頭で考える」トレンドの危うさ

敷衍して考えてみると、歴史に限らず、「【事実】から直接【意見】を軽やかにでっち上げて見せることこそ今の時代に求められている賢さである!」という風潮に自分がかなり蝕まれていると気づかされました。自分の頭で考えることを称揚する風潮と、効率性を追求する風潮とが合わさった帰結として、「先行研究の蓄積であるところの【解釈】は、古臭い教養主義で凝り固まった思い込みに過ぎないと斬って捨てることこそ合理的でかっこいい」に着地しがちみたいな。

歴史に限らず何事も、あまり近道を追い求めず、先行研究の蓄積にきちんと敬意を払って、コツコツと学びを深めていこうと思います。

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