猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』“総力戦研究所”を通して事務と戦争について考える

『虎に翼』で知った“総力戦研究所”

“総力戦研究所”は『虎に翼』ではじめて知りました。岡田将生演じる判事・星航一が背負う十字架です。

すっかりハマっている『虎に翼』に出てきた、猛烈に気になるキーワードなので、放ってはおけません。猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』に詳しく描かれていると聞いて、8月ということもあって読んでみました。

『 昭和16年夏の敗戦』
猪瀬直樹

【出版】 2010-06【頁数】 283
緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る…。日米開戦直前の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだった!知られざる実話をもとに日本が“無謀な戦争”に突入したプロセスを描き、意思決定のあるべき姿を示す。
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総力戦研究所は、各官庁・陸海軍・民間などから35歳前後の若手エリートが選抜され、文字通り“国家総力戦”について研究したり学んだりする機関です。入所期間は1年で、3期生まで輩出。各期35人~40人なので、学校の1クラスくらいのイメージでしょうか。

星航一のモデルとなった三淵乾太郎の入所は、運命のいたずらでした。本来入所するはずだったのは、司法省推薦の検事。ところが、入所前の健康診断で肺を患っていることが判明し、急遽、東京地裁の判事だった三淵が入所することに。

開戦前に“必敗”と予測

昭和16年と言えば、12月に真珠湾攻撃なので、“夏”はまだ太平洋戦争が始まってもいません。なのに、なぜ“夏の敗戦”なのか?

実は、昭和16年春に総力戦研究所に三淵達1期生が入ってきて、演習の一環として夏に模擬内閣を結成、シミュレーションの結果、開戦すれば緒戦は勝利も期待できるものの、長引いてしまった末にソ連が参戦してきて“敗戦”すると分析していたからです。原爆投下以外はかなり正確に読み切っています。

模擬内閣がこれほど正確なシミュレーションをできた背景として、タテ割り行政の弊害であるところの閉鎖性が希薄で、各種データを共有できたことも大きかったようです。民間からもたらされたデータもありました。日本郵船からの出向で模擬内閣では企画院次長を務めた前田勝二は、ロンドン駐在員として保険業務を担当した経験もあったそうです。ゆえに、世界的に有名な保険会社ロイズのデータを持っていて、物資輸送用船舶の喪失量予測をかなりの精度でできていたようです。原油を求めて南方に進出しても、輸送するための船は一定の割合で撃沈されるわけで、船を新しく建造するスピードが追いつかなければ、日本まで運べなくなっておしまいだと結論したわけです。

模擬内閣のメンバーが、腹を割って議論できた背景として、所長だった飯村穣中将の影響も大きそうです。体育の授業は毎日必須だと主張し、白の体操服とズック靴まで揃えて、所長以下、率先して身につけてやっていたそうです。30過ぎてなんで体育せにゃならんのだとブーブー言っていた研究生たちも、何だかんだで楽しむようになっていった様子。いろんな意味で魅力的な人物だったようです。

飯村所長は、石原莞爾と陸軍士官学校で同期。ロシア語とフランス語が堪能で、トルコ駐在武官時代には、請われてトルコ陸軍大学でフランス語の講義をしたという逸話も。同盟通信(現・共同通信)から出向してきていた研究生が、知ったかぶりで孫子について質問したら、飯村所長は全文暗記していて、みんな度肝を抜かれたとか。それくらいの人物でなければ、いくら研究所のシミュレーションとは言え、日本必敗の結論を首相官邸で報告させられないよなと思ってみたり。

昭和16年秋の東條英機

そんなこんなで、日本必敗のシミュレーション報告を首相官邸で聞いていた一人が、夏の時点では陸相だった東條英機です。東條は、
「とは言え、日露戦争も勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。」みたいなことを言ったとか。

そんな東條英機のその後について、猪瀬直樹は詳しく描いています。開戦に消極的な天皇のために、内大臣・木戸幸一が逆転の発想で東條を推挙したのだと。主戦論派でありつつも天皇の意図を汲む忠臣・東條を首相に任命することで、火中の栗を拾わせようとした、東條も必死で応えようとした昭和16年“秋”だったのです。

猪瀬直樹は、東條英機に同情します。国務と統帥に二元化された大日本帝国の特殊な政治機構は、統帥つまり軍部の決定に、国務つまり首相・東條英機が異議を唱えるのが構造的に極めて難しかったのだと。その構造的な欠陥を、山県有朋までは、彼が軍閥の長&長州閥だったから、個人的な影響力で乗り越えられたのだと。それを東條に求めるのは酷だと。東條英機は職分の中で生きており、制度の壁を破ることは望むべくもなかったと。

戦争と“事務”

そのような主旨の主張は、極東裁判で東條自身もしていたようです。東條英機尋問の翌日、毎日新聞『余録』が書いた

これでは戦争は、最高の『政治』ではなく、官吏の『事務』となる。

という一節がしみじみと味わい深かったです。

このあたりの、“職分”、“政治”、“官吏”、“事務”といったキーワードが、今の私に猛烈に刺さる令和6年の夏でした。

戦争が“事務”ならば、“事務”は“数字”なので、破綻がすぐにわかるはずです。実際、総力戦研究所の模擬内閣は、正確な数字から必敗を予測しました。しかし、戦争は軍部にとっては、それ自体が目的なので、目的のために“数字”が従属させられてしまいました。都合のよい数字だけを選び取って辻褄を合わせるなんてよくあることだと、社会人を20年以上続けていれば誰でも感じている現実です。

そんなことを考えているうちに、

事務を疎かにすると敗れるが
事務しかいなくても敗れる

みたいな言葉を私が思いつきました。

たぶん、宇宙世紀まで語り継がれる名言が生まれた瞬間だと思います。
よかったら使ってみてください。

『昭和16年夏の敗戦』おもしろかったですよ。事務の第1歩はスケジュール管理だということで、読む時間を計測したところ、いろいろとメモをとりながらで6時間半でした。

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